バドの技術と戦術の変化に迫る[男子シングルス編]
 スポーツの技術や戦術などは、その時代のトップ選手のプレースタイルや道具の進化、論理的なトレーニングの普及などによってどんどん変わっていく。 ここでは男子シングルスをみてみよう。
[1990年代] このころのスポーツ界は過酷なトレーニングをやり続ける時代だった。うさぎ跳びやダッシュを何回も繰り返し、 どの国もハードトレーニングが好まれた時代だったので、試合内容もパワーやスピードを生かした戦い方だった。
スマッシュを打って、ネットに詰めて、またスマッシュを打って、ネットに詰めての繰り返し。動きが速く攻撃的で、わかりやすい展開で面白かった。
激しい打ち合いが多かったのは、以前はエアコンの環境が少なかったこともあげられる。デンマークのピーター・ゲードやピーター・ラスムスセン、中国の孫俊が活躍した頃だ。
 00年代前半まで、サービス権を持つ側に得点が認められるサービスポイント制だったので、サービス権がある時にミスをしても、サービス権が相手に移るだけで失点にはならない。だから、サービス権を持っている側は思い切った攻撃が仕掛けられるし、ルール的に攻撃がしやすかったいうのも、当時のプレースタイルに影響していた。
[2000年代前半] シドニー五輪(2000年)は吉新鵬(中国)、ヘンドラワン(インドネシア)、夏煌澤(中国)が金・銀・銅。
アテネ五輪(2004年)はタウフィック・ヒダヤット(インドネシア)、孫升模(韓国)、ソニー・クンチョロ(インドネシア)が金・銀・銅。 ネット前からスピンネットで仕掛けて、相手のロブをジャンピングスマッシュするタフィー。ピーター・ゲードも俊敏なフットワークと鋭い攻撃で勝ち続けた選手だ。
このあと、中国の林丹やマレーシアのリー・チョンウェイが台頭してくる。
 この時期も攻撃主体の選手が全盛。この頃からラケットやシューズの進化が影響してくる。ラケットはだんだん軽くなり、操作性が格段に上がった。シューズも 軽くてクッション性が高いものが出てきたので、ケガを恐れずに思い切った踏み込みができるようになってきた。
 近年は日本代表選手の活躍や、個人競技への関心が高まる中、コロナ前には2018、19年の日本協会登録者数は30万人超となっている。
[2000年代後半] アテネ五輪後は林丹やチョンウェイが男子シングルスを牽引。北京五輪(2008年)この二人が金・銀、銅は中国の陳金。
 2006年に21点ラリーポイントのルール改正があった。攻撃スタイルはまだ大きくは変わらなかったが、レシーブ面では変化がでてきた。ダイビングしながらの スマッシュレシーブがスタンダード化してきた。それまでは足を大きく出すレシーブが基本だったが、リー・チョンウェイの代名詞とも言えるプレーとなった。
 日本もこの頃から練習環境も代わり、少しずつ世界で戦えるようになってきたが、まだパワーで押し切られて負けることが多かった。
[2010年前後] タウフィック・ヒダヤッをトやピーター・ゲードのフィジカルが落ちはじめ、林丹がスマッシュを打ち込みながら勝利を掴み、 リー・チョンウェイが国際大会で何度も優勝を飾るようになってきた。
 その後、林丹は徐々にスマッシュを控え、ストローク主体の戦術をとるようになってきた。まわりの選手もラリー重視の戦いにシフトチェンジするようになった。 多くの選手がリスクを避けて、ミスの少ない確実なショットを選択するようになってきたのだ。
 ネット前のプレーに変化が生まれてきた。白帯ギリギリのヘアピンやスピンネットをねらっていたのが、ネットから離れた位置に落とす、長めのヘアピンを打つ選手が増えた。 それによって、ヘアピンの軌道の頂点をネット前に持ってくる、リフトネット使う選手が減少。これはメット前で勝負するとロブを打つ展開になってしまうので、それを避けるために 長めのヘアピンを多用するようになったものと思われる。
 北京五輪後に、各国で取り入れられた、「半面コートの前後をアウトに設定する半面シングルスの練習方法」が要因だといわれ、ロンドン五輪以後は、この長めのヘアピンを使う プレースタイルが加速していく。
[2010年代後半] 林丹の後継者として頭角を著してきたのがチェンロン(ェ龍)。自分から決めに行かない、相手に決められない戦術を 得意とするェ龍、180センチを超える高身長で、長い手足と強いフィジカルのオールラウンダーだ。フットワークが速いというより、無駄のないスムーズな動きで、 隙を作らない相手からすればどこへ打てばいいかわからないと感じるタイプ。
[2020年前後] リオ五輪で金メダルをつかんだェ龍の勢いも落ち着いて、徐々に結果を出すようになったのが桃田賢斗。スピードを上げて 自分から動くというよりは、精度の高いロブやレシーブを軸に相手のショットをコントロールしながらミスを待つ。相手をロブで追いやり、スマッシュを打たせながら 少しずつ打つスペースを潰していく。相手がスマッシュを打ってこないなら、打ってくるまで返球し続けることで、相手は動き疲れて心が折れる。
そうなれば桃田のペース。
 ェ龍、桃田、どちらもベースとなるのがミスの少ないプレー。そして、この戦術で東京五輪で金メダルを獲得したのがビクター・アクセルセン(デンマーク)。
もともとビクターは高い身長を生かして、攻撃が目立つプレーヤーだった。以前はラリーで待ちきれず、自分からスマッシュやネットを無理に仕掛けてミスをする展開が 多かったのが、最近は相手に打たせてコントロールする戦いができるようになってきた。東京五輪の優勝やワールドツアーでの活躍はプレースタイルが安定してきたことも理由だろう。

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