[4/19 NetNews]☆桃田、日本代表を引退!
 4月18日、日本代表の桃田賢斗が4月27日から開催されるトマス杯を最後に、日本代表を引退することを発表した。
 桃田は、「再び世界トップをめざすのは、体力面、精神面において限界と感じ、日本代表の引退を決意しました。 これまでの成績を残せたのは、NTT東日本をはじめ私の活動を支えてくださった関係者の方々や、 応援してくださるファンの皆さまのおかげだと思っております。心から感謝申し上げます」とコメント。
 今後は、日本代表からは引退するものの競技活動は続けていく。国内の大会に参戦しながら、バドミントン教室やイベントなどを通じて、バドミントンの発展に尽力していくという。

 桃田は姉の影響で小学1年からバドミントンを始めた。阪神ファンだった父は野球をやらせたかったため、あくまで肩や肘をつくるためのトレーニングの一環と考えていた。
小学4年からは並行してソフトボールも始めたが、才能を発揮した桃田はエースで4番も務めた。父は江夏豊2世になってほしいと夢想していたが、 桃田が選んだのは「自分一人の力だけで勝てる」と、いち早く全国制覇を果たしたバドミントンだった。
 福島・富岡第一中でも野球の才能は関係者の目に留まった。バドミントン強化に力を入れ始めた福島県で体協に務めていた芦野孝彦氏は、巨人の松井秀喜、近鉄などで活躍した左腕の山本省吾、 奥川恭伸(ヤクルト)らプロに進む逸材を多く見てきたが、バドミントン部でありながら桃田には野球でもプロ入りできるほどのポテンシャルを感じたという。
 高校1年時の2011年3月の東日本大震災、16年4月に発覚した違法賭博問題による処分、20年1月のマレーシアでの交通事故による大けが。 何度も襲ってきた逆境の中から不死鳥のように立ち上がってきた。
 2016年3月に東京ドーム、22年5月には札幌ドームの始球式でプロ野球のマウンドに立ち、ストライク投球で大観衆の喝采を浴びた。

デイリースポーツ('16.4.9)
 五輪の舞台には(東京五輪)1度しか立てなかったのは数奇としか言いようがないが、2度の世界選手権制覇など数々の金字塔を打ち立てた。
「バドミントンを野球のようにメジャーな競技にしたい」 かつて口にしていた夢に、自らの活躍によって近づいた。国際舞台の第一線からは去っても、エースの功績は色あせないだろう。

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